Apple Music入ってみた

砂金が落ちてゆく

砂金が落ちてゆく

中々いいね。ZUNTATAが入ってないのがちょっと悲しかったけど、小島麻由美が入ってた。気が付いたら新曲を出していて、それも無料でゲット。いい時代になったもんだ。

砂金が落ちていく、とても良いね。しんみりしてて。アルバム中では人気が最低だが……うーん。僕の感性が特殊なんだろうか。

プログラミングコードの美しさについて

美しいってそもそも?

よく「美しいコード」なんて言葉が出てくる。普通の人には意味がわからなくて、プログラマにはわかる、とされる言葉だ。意味がわからない人には抽象的な言葉に思えるし、わかってる人にとっても誰にでもわかるコードの事と思われたり、見た目の問題と思われたり、コードの根底にある指向の実現度と思われたり、はたまた、或いはその全ての総合的な所と思われたり。

そもそも「美しい」とか「綺麗」なんて言葉が抽象的なので、一般的な人とわかってる人の対比のみならず、わかってる人同士でもその言葉の意味する所に齟齬が出て来たりするのは当たり前と思われる。多分、僕が理解している「美しいコード」は、正しいし、間違ってるのだろう。意味が人によって変わりすぎる。下手をすると、書いている本人にとっても変わってくる事すらあるのだ。数年前にこれ以上無いつもりで綺麗に書いたコードが、今見るとクソみたいに見える、なんてのはよくある話だ。もちろん、多くの人に賞賛される美しいコードというのはある。でも、もしかしたら本人からしたらそれだって駄作なのかも知れないわけでね。

そういう話ではない? 学問的な面を含む記述、若しくは計算の効率度の問題とかであれば、それはもう話が違うんじゃなかろうか。雑談や与太話以上レベルのきちっとした厳密な話をしたいのなら誤解を防ぐためにも「美しいコード」なんて言葉を使うのはやめた方が良いのかも知れない。

それでも目指すべき所

なんて書いても、例えそれが人それぞれであったとしても、「美しいコード」は目指すべき到達点であるのは間違いない。実際の所、「真に美しいコード」というのは到達出来る様に見えて実は到達出来ない目標かも知れない。上述の通り、自分自身ですら意味が変わってくるのだから。

詰まるところ、美しいコードというのは「誰もが感動する音楽」「誰にでも響く言葉」の類じゃないかな、と思ったりもする。目指すべきだけど、実現するかはまた別問題。だけど、誰もが憧れ、夢想する。

或いは、それによって向上心を高めるための装置として用意された言葉なのかも知れない。届かない目標だからこそ、そうしたものとして機能する。

だけどまあ結局、その時の自分が納得出来るコードかどうか、なのかもね。僕もいつか、美しいコードを書けたらいいなぁ。